ミシンの歴史をたどってみよう~ヨーロッパ・発明編~

現在様々な場面で利用されているミシン。

みなさんも自分が使用していなくても、その恩恵は必ず受けているはずです。

このミシンというものの発明により、衣服などを縫うという作業が非常に容易にできるようになりました。

ではこのミシン、どこでどのように発明され、どのようにして発展してきたかご存知ですか。

今回はそんなミシンの歴史をたどってみましょう。

ミシンの歴史~ヨーロッパ編~

ミシンの発明に関しては、いつ、どこで生まれたかに関しては、いくつもの説があります。

数ある説の中でも、一番有力であると考えられている説はヨーロッパで発明されたというものです。

まずはミシンの発明について、いくつかの説を紹介していきます。

ミシンの研究の始まり

ミシンというものを発明しようという動きは、1589年にまで遡ります。

その始まりは、イギリスのウイリアム・リーという人が、自身の妻が手編みで毛糸を編んでいるのを見て、それを機械化しようと考えたことが始まりだとされています。

ですが、実際に歴史上にミシンが登場するのは、ここからかなりの時間が経過してからになります。

イギリスでの発明

最初に紹介するのが、現在では最も有力であると考えられている説です。

それは、イギリスのトーマス・セントという人が1790年に環縫いミシンと呼ばれるミシンを発明し、特許を取得したとされるものです。

この環縫いミシンとは、1本の糸で連続して鎖状に縫い上げることができ、別名をチェーンステッチミシンとしていました。

この説では、この特許がミシンの実用化第一号ではないかと考えています。

実際にイギリスでも、1970年7月17日にイギリスの家具製造業者であるトーマス・セントに英国特許の1764号を認可したということが記録として残されています。

この記録が現存する最も古いミシンの発明の記録であるとされています。

ですが、ミシンという大きな発明をしたにしては、このトーマス・セントという人の名前が知られていなさすぎる思いませんか。

これは、当時の特許庁のミスのためではないかと考えられています。

このトーマス・セントさんのミシンの特許は、本来掲載されるべき機械の部門ではなく、衣料品の部門に登録されてしまっていたのです。

そのため、機械などを開発する人々の目に触れることが無く、そのまま83年もの間、特許庁の中で眠り続けることになるのです。

その後、1873年にロンドンで機械製造業を営んでいたニュートン・ウイルソンという人が、自分の仕事関係で特許庁の書類を調べている際に、偶然この特許を目にしたことで、ついにトーマス・セントさんの発明が日の光を浴びることになります。

ニュートン・ウイルソンさんはここから、5年の歳月を用いてトーマス・セント式のミシンを再現します。

そして再現したミシンを、1878年に開催されたパリでの万国博覧会に出品しました。

ですが、ここでもミシンの元祖となることはできませんでした。

この当時には、アメリカですでに多くのミシンが開発されており、実際にこの万国博覧会にもアメリカの著名なメーカーから実用的なミシンが多数出品されていたためです。

そのため、トーマス・セントさんはミシンを88年前に構想を完成させていた人ではあったものの、現在のミシンの元祖であるとは言えないのです。

当時、このような特許のミスが無ければ、このトーマス・セントという名前が、ミシンの歴史においてもっと大きな意味を持つものになっていたのかもしれません。

オーストリアでの発明

続いては、1814年に発表されたオーストリアでのミシンの特許についてです。

当時、オーストリアのウィーンで洋服仕立て業を営んでいたジョセフ・マルディスペルガーさんが、刺しゅうを目的としたミシンの特許を取得しました。

実際に1817年のウィーンの新聞には、「彼のミシンが、いたるところに受けた推賞によって、皇帝陛下におかれては、発明者に対し独占権(特許権)を交付することに決定した。

」と記載されています。

ですが、彼の発明したミシンは、実際に使用するには構造が複雑すぎて、かなりの部分で手作業が必要となってしまう不完全なものでした。

そのため、一般的になものとはならず、広まっていくことはありませんでした。

フランスでの発明

最後は、フランスで洋服仕立て業をしていたバーシレミー・シモニアさんの発明したミシンについてです。

彼は1830年にミシンの原型となるような機械の特許を得ました。

その特許はすでに実用化、量産化されることを踏まえて作られていました。

そして翌1831年には、実際にミシンの需要が非常に高かった軍服縫い工場にミシンを80台納入したのです。

ですが、先にも紹介したように、ミシンの特許は大きく扱われず、ヨーロッパでは1878年のトーマス・セント式の復刻まで日の目を浴びることはありませんでした。

それは、当時の階級制度であるギルド制のせいでした。

ミシンが発展してしまうと、それまで手作業でその仕事を請け負っていた縫い子の職を奪われてしまうと危機感を抱いた当時のギルドの長たちは、暴徒を向上に乱入させ納入されたミシンをすべて破壊してしまったのです。

自身の身も危険になってしまったバーシレミーさんはリヨンで再度資金を作り、1848年に再度英国特許を取得し、1851年に行われた大英博覧会に自作のミシンを出品することに成功します。

ですが、手工業が主体だった当時には、手仕事を奪ってしまう機械と考えられてしまったため、そこから人々に認められることはありませんでした。

ですがこのバーシレミー式のミシンは、後世において非常に大きな役割を果たします。

現在でも有名であり、のちに世界の刺繍機の分野において市場を圧巻するフランスのコーネリー社や、ドイツのリンツ社が開発したミシンは、バーシレミー式の原理を改良したものであると言われているのです。

そのため、バーシレミーさんのミシンは、死後において日の目を見ることになるのです。

当時の歴史背景

最後に、ここまでヨーロッパで発明されたミシンがなぜ、世間に広がっていかなかったのかということの補足です。

これは、当時の歴史背景に原因があります。

トーマス・セントさんがミシンを開発した1790年ごろから1840年ごろまでは、フランス革命やナポレオンによる政治などにより、戦国時代と呼べるほどの波乱の時代を迎えていました。

そんな時代背景の為、生産技術などを広く受け入れる余裕もなく、新しいことを取り入れることができなかったのです。

もし、今回紹介したような発明がこれほど荒れた時代にされたものでは無ければ、ヨーロッパにおけるミシンの開発は、ミシンの歴史においてさらに重要なものになっていたかもしてません。

もし、他のヨーロッパの国でのミシンの発展についても知りたいという場合には、これらの激動の時代だということを踏まえておくことをおすすめします。

まとめ

ミシンは現在においては、生活からは決して切り離すことができないものにまでなっています。

ですが、開発された当時は、時代背景もあり、なかなか日の目を浴びることが無い悲しい発明でした。

もしかすると、同じように歴史に埋もれてしまった発明品もあるのかもしれませんね。